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―――ちょっと余談が戻るかもしれないですが、そもそもその小川さんとその話をするってことはその前に、行く前に日精研との関係は先生との関係はできていたってことですよね。
平木:そうそう、日精研との関係は内田さんですよ。
―――そのあたりの経緯を、ちょっと教えていただきたいんですが。
内田:日精研との関係は、ほんとに40年くらい前の話なんだけど、日精研に海外から内田クレペリン検査の問い合わせがきたんですよ。それでそのときにうちは英語はダメだから、あの英語の翻訳をね、しなきゃいけないってことで、当時、内田クレペリン検査のほうで関係のあった新井さんっていう人に相談したら、「私の知っている人で平木典子さんっていう人がいて、立教大学でこういうことをやってるから、紹介しますよ」っていうんで、それで紹介してもらって、だから最初はアメリカからきた内田クレペリン検査についての問い合わせを翻訳してもらうっていうことで知り合ったんだと思うんですよ。
―――それが、一番最初の出会いですか。
内田:それで翻訳の仕事をやるようになって、それで我々はただちに平木先生を非常に気にいっちゃって、その翻訳の仕事を通じて、それでその後ね、まぁ色んなことで何かと平木先生に声をかけてお願いするみたいな感じになってて、平木先生はテストの専門家っていうよりも臨床の専門家だってことはその時にわかってたから、それでじゃあ臨床の仕事を平木先生としてもらおうじゃないかっていう。

―――コラボレートしようっていう。
内田:そう。
平木:御茶ノ水です、事務所はその時。
内田:湯島。
平木:湯島。
内田:それで
平木:相談室作ったんですよ。相談室つくったときからは1人の臨床家として相談室の運営に関わった。
八巻:相談、カウンセラーもしてらしたんですか。
平木:はい、カウンセラーとして関わった。
内田:そう、一番最初はそうですよね。
――――それは何年ころですか。
内田:それはね、わかるんだけども、いまここにはないんだけども。後で(注6)。
平木:湯島から本郷に引っ越す直前ですよね。
内田:そうそうそう、日精研のビルの近くに岡ビルというのがあって、そこの一室でカウンセリングを始めて、そのころから佐治先生なんかもボチボチ顔を出すようになった。
平木:そう、もう佐治先生いらした。佐治さんとか都留さんとかいて、新井さんとか。
内田:深江さん。
平木:深江さんもいて、あの・・巌谷さんがいてみたいな感じのときですね。
内田:それで深江さんと、新井さんはカウンセリングも関わってたんだけど、深江さんと、巌谷さんってのはまたちょっと違ったことであれしてて、巌谷さんっていうのは巌谷小波(いわやさざなみ)って有名な童話作家がいるんだけども、その人の息子さんで映画の仕事をしていて、それで知り合ったんですよ。だからなんか芋づる式にそういう色んな人と接触するようになっていましたね。