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八巻:話はかわりますが、ちょっとしゃべっていいですか。アサーションってね、カウンセラーだった平木先生がアサーションってものに魅力を感じた、なんか思想というか、意義があるって感じられた何かがあると思うんですよ。それで日精研も具体的には小川さんが共鳴した部分っていうのは、トレーニングの面白さじゃなくて、思想というか、考え方というものがあると思うんです。そこが共鳴しなければいいものができない気がするので。そのへんはどんな風にお考えでいらしたんですか。

平木:私がアサーションに関心をもったきっかけは、さっきの話にもう一回戻りますけど、(アメリカの)PCAでアサーションをやってるグループに出会ったことなんです。もしお昼ご飯にその人たちと一緒にならなければ、私、興味を持つのがもうちょっと遅かった気がするんですね。なぜかっていうと、1つにはカウンセリングの思想と共通するところがあったからです。[自分も相手も大切にする自己表現]というのは、基本的に人を大切にするというカウンセリングの思想とそう違ってはいないんです。非常に大切なことだっていうのが基本なので、それでむしろひっかからなかったんですよね。もう一つは、私自身が日本で言いたいことは一応言えてるからいいかってそんな感じだったんですよ。私がそのトレーニングを受けなくちゃなんないってあんまり思ってなかったのね。
―――自分として必要だとは感じなかった。
平木:ちゃんと自己表現ができているとは思わなかったけど、トレーニングを受けなければならないほどニーズがなかったんですね。だけれども、(お昼ごはんのときの雑談で)その話を聞いたときに私が考えているよりもはるかに広いってことがわかったわけです。アサーションの枠っていうのがね。
―――主張できれば良いというだけの枠ではなかったと。
平木:はい。お互いに大切にし合うっていうのを色々考えているらしいなっていうのがわかったんです。そこで「ちょっと待てよ」っていう風に思ったのがきっかけで、その後は本当にアサーションの内容がわかったんです。私が苦労しないというのではなくて、両方大切にしながらきちんと付き合っていくっていうのは、すごく大変なことなんですよ。
―――労力がいることだと思います。簡単にはできないですよね。
平木:改めて考えてみるとえらく大変なことで、それをきちんと身に付けていくってことは、カウンセリングのもっと底に流れる精神のような気がしたんですね。だからカウンセラーはアサーションが必要だと言ったんだと思うんですけど、基本みたいなものだと感じました。それはアサーション・トレーニングの中では人権という言葉で表現されるんです。日本人にとっては人権っていうのはあんまりピンとこないだろうと思いましたが、人権ということで押さえなければならないと感じました。
―――日本人にピンとこないだろうけども、「人権」ははずせないと感じたんですね。
平木:人間にとって非常に大切なことを言っていますし、カウンセリングのトレーニングの中で今まで伝えられてきているものとは違うものがあるという気がしたんですね。カウンセリングの中では相手を大切にしなさいとか、相手のありのままを受け止めなさいとかっていう風に言うけど、自分を大切にしなさいなんて言わないわけですよね。それで相手を大切にしなさいとは言うのに、自分を大切にしなさいって言わないのは変だっていう感じかしら。
―――自分を大切にするということはカウンセラーにとって、そんなになじみのないものだったんですか。
平木:別の言い方をすれば、1967年に私は立教大学にカウンセラーとして就職して、大学紛争があったりとかで、かなり様々な波乱の年を過ごしたんです。その中で感じたのは、相手を大切にするってことをやっているけど、自分を大切にすることをなしに相手を大切にすることは、教えられないって感じがするんですね。
―――先生はその当時ある種の違和感を感じていた。
平木:1967年から70年、80年にかけて、ずっと大学紛争と若い人たちの反乱のプロセスの中で多分そんなことを感じていたから言ったんだと思うんです。「平木先生は何のためにカウンセラーをやっているんですか」っていう質問をされた時に、「自分のため」って言ったことがあって、ビックリされた覚えがあるんですね。自分のためって言う人が立教大学にきちゃった、これは大変なことだって(笑)。
―――当時そんなことを言う人は珍しかった(笑)。
平木:学生部の人たちがビックリしたってしばらくしてから聞いて、「そうか、こういう誤解を招くようなことは言っちゃいけないんだ」って(笑)。でもやっぱりその考え方ってあんまり変わってないんですよ。アサーションに触れたときもそう。それっていうのは自分のためにじゃなくって、自分も相手も大切にすることが成り立つ、ってことをアサーションが言ってくれたわけですよ。このことは一番衝撃的でしたね。日本人にとっては相手を大切にするって事で人間関係は成り立つっていうことがどこか根付いていて。
―――周りの人はビックリされた。
平木:人間にとって非常に大切なことを言っていますし、カウンセリングのトレーニングの中で今まで伝えられてきているものとは違うものがあるという気がしたんですね。カウンセリングの中では相手を大切にしなさいとか、相手のありのままを受け止めなさいとかっていう風に言うけど、自分を大切にしなさいなんて言わないわけですよね。それで相手を大切にしなさいとは言うのに、自分を大切にしなさいって言わないのは変だっていう感じかしら。
―――自分を殺して相手を立てるような
平木:うん。だけど、自分も相手も大切にすることが成り立つっていうことが衝撃だった。だからカウンセラーって、人のためにだけ働いてたってロクな仕事できませんよっていう思いでした。自分も大切にしなかったらダメじゃないか、みたいなことを思っていました。それは自分が女だとか、そういうのがバックグラウンドにあるからだと思いますけど、ある意味でそれまで私は二の次でいいんですって生きてきたからね。自分を二の次にし続けていたら「ひがみ」しか出てこないよ、とも思いました。そういう意味でアサーションはカウンセリングよりも基礎だって思ったんですよね。
八巻:そうみるとコミュニケーション・テクニックではなくて、自己尊重感とか、自己肯定感をアサーションには思想的に反映させたいっていう思いがあるんでしょうか。
平木:そう。でそういう意味からいえばこのアサーションを最初にやった時に、カウンセラー達がどんどんこのトレーニングに入ったんですが、ほとんどのカウンセラーがひっかかったのが、人権としてのアサーションでした。なんで人権っていうことを言わなくちゃならないのかと。私はなぜひっかかるのかがわからなかったんですよね。それでひっかかったことにまたビックリしたのも覚えてますね。